昭和42年7月24日 夜の御理解
昨日、昨日の晩で御座いましたですね、昨日おとといになります。ある方があの、自動車を買いたいと云うてお願いにきた時に、どうしてもお許し頂かなかった。ところがお許し頂かんなりに買うた、というお届けにきたお話を致しましたが、今日本人が出て参りましてね、実は昨日ある所に行って帰りに、二人乗りの単車が自動車にそれこそ超スピ―ドで走ってきてからぶつけたしかも丁度この運転台、運転台にぶつけた。ところがその、その人はかすり傷ひとつしてない、ぶつけられた方は只自動車が勿論破散、ところがそのぶつけた方の二人乗りの単車の方は、やっぱ勢いち云うのは恐ろしい、二人の者がその自動車を飛び越えて 向こうのアスファルトの上にたたきつけられている。もうほんとに即死というてもその、しても仕方がないところを骨折ぐらいでおかげ頂いたと云うてお礼でしたが、見て御覧なさい、あんたがお許しも頂かずに事をするから、それでもね、このことはそうにゃ私だけじゃない、その事を聞いた人達みんな一生懸命お祈りをさせた頂いとるよ、そのおかげで云うならば、あんたの方からぶっけたじゃなくて、向こうの方からぶっけてきてそういう怪我をされたということを、同時に ま、買うたばかりのあんたの車が怪我をするといったような結果になって、もうほんとにいよいよ分からにゃいけんよ、て云うて申しましたことで御座いました ね、今晩も私ゃ御祈念中にある方が怪我をするお知らせを頂いた、今晩の御祈念ちったひまが入ったんですけどね。そりゃもう、はっきりと名指しで頂いたんですけどね、けれどもその皆さんがこうやって聞いて下さる ほうそげなもんばいのと、じゃなくてですね、そういう祈りの中の人、そういう皆さんが勢信心をもって、誰かどなたか分かりませんけれども、今日頂きました自動車のそのことだってです ね、今日私が頂いて怪我をするというお知らせを頂きました。その人のことだってです、誰かは分かりませんけれども、どうぞ大難を小難、小難を無難におかげを頂かれますようにという願い、そういう、ひとつの前知らせを下さるということは、こう云う事が起こってくるぞ、起こるぞと云うのじゃない ね、ですからこういうことを起こってくるようになさってるなら、しっかり信心したらそこで助けてやりたいばっかりに、前にお知らせを下さるのでございますからね。ですからね皆さんでもそうです、色々とまあ、そういうようなお知らせを頂かれましたらね、そのことをお届けなさって、お届けさして頂いて、無難の中に小難の中におかげを頂いていく、お繰り合わせを頂いていけれるということが、信心頂いとる者の有難いところなんです。ね、ですからそういう前知らせを頂いておっても、迂闊にしておったり、それを横着にしておったりして、しておってはそれをまともから受けなければなりません、だからやっぱりお夢ならお夢の中で頂いたら、お届けをしてから、私は大難を小難、小難を無難にという願いがなされなければならないと思いますね。
今晩のこと、どうぞ皆さん、お祈り添えをお願いします、それこそ間違いなくあるんですからね。ですからそのおかげを、お繰り合わせを ね、皆さんのお祈り添えで人が、言わば助かるということ自分のことだけじゃない、人のことが祈れれるということは 私は有難い、牛やら馬やら自分の子供が、例えば溺れておっても、それをどうすることも出来ない。人間はそれを見ると助けるということが出来るというじゃないか、出来る、人が助けられるということを有難いと心得て信心せよ と仰る。私共は牛馬じゃないですからほんとに人の難儀を見たら助けられる、ね、そこんところを有難いと心得て信心、その人の為に大祓の一かんも上げさせてもらう、その人の為に祈りを捧げさしてもらう、その人の為に修行でもさして頂くというようなことが出けるのが、私共人間なのですから、人が助けられるということは有難いと心得て、お互いの信心をしていかなければなりませんね。 どうぞ